「勘助地蔵」

2022.12 撮影
タイトル勘助地蔵
作者不明
設置場所東京都港区 萬年山青松寺
備考港区登録有形民俗文化財

勘助地蔵は港区の有形民俗文化財。槍持勘助と呼ばれた芦田義勝は美作津山藩の足軽で、槍の担当だった。当時、津山藩主・松平越後守宣富の槍はたいへん長く重く、取り落とすと打ち首になるという代物で、実際に刑に処された者もいたという。義侠心の厚い勘助は、この槍の柄の下部分を切り落とし、その場で切腹して抗議した。1701年のことである。津山藩では、二度とこのようなことが起こらぬよう、槍の柄に金属の芯を入れたという。

勘助の墓は勘助地蔵と呼ばれ、下の病に霊験があるとの評判がたち、参拝者も多かったようだ。快癒した者からは酒が供えられたという。その俠気は、今も心を疼かせる。

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