「優姫」山口克昭

2022.12 撮影
タイトル優姫
作者山口克昭
設置場所東京都品川区立かむろ坂公園
製作年1989

公園の一角に、意味ありげな作品が設置してある。

かむろ坂の由来

今から三百年ほど前、数々の悪事を重ねた鳥取の武士、平井権八郎直定(歌舞伎では白井権八)が鈴ヶ森で処刑され、目黒の冷心寺の僧に引き取られて葬られました。権八と相愛であった吉原の三浦屋のおいらん「小紫」は、それを知ると目黒へ急ぎ権八の墓前で自害しました。小紫の帰りを心配した三浦屋の主人は、小紫の可愛がっていた半玉(おいらんの下で働く少女は、おかっぱのような髪形をしていたところから「かむろ」とよばれていました)を迎えに出しました。「かむろ」は、冷心寺で小紫の死を知ることとなります。泣きながらの帰途、桐ヶ谷近くにさしかかったとき、突然暴徒に襲われ逃げきれず、目の前にあった「二ツ池」に飛び込み死んでしまいました。この様子を見ていた村人は、「かむろ」を哀れに思い丘の中腹に葬り、「かむろ塚」と呼んでいましたが、その後、丘を「かむろ山」池を「かむろが池」と呼ぶようになったということです。
都市化とともに付近の様子も変わり、残されたこの坂道が「かむろ坂」と呼び残されています。

平井権八郎は江戸時代の連続殺人犯。鳥取藩の藩士だったが、18歳の時、父を侮辱した父の同僚を殺害して逃走する。江戸新吉原で、当代一と言われた花魁・小紫と出会い、お互い愛し合うようになる。しかし、吉原へ通う金がままならくなり、平井は辻斬り強盗を働くようになる。殺害された者は分かっているだけで130人、実際は185人を超えると推定される、史上稀に見るシリアルキラーだった。この作品は、平井を愛した花魁・小紫と半玉「かむろ」の図。この事件は、読本、歌舞伎、人形浄瑠璃などに脚色され大当たりをとった。10本以上の映画も作られた。自分に会いたいがために殺人を繰り返した恋人は狂おしいほど愛しいが、世間がそれを許す筈がない。全てを失った小紫は自害するしかなかったのだろう。死んでしまった「かむろ」も、300年も後に自分が銅像になるなんて、予想もできなかったにちがいない。

山口克昭は1928年、奈良県生まれの彫刻家。二期会会員。

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