「商法講習所(一橋大学発祥の地)」(1875〜)

2022.12 撮影
タイトル商法講習所(一橋大学発祥の地)
作者不明
設置場所東京都中央区 銀座6丁目中央通り
製作年1975
発祥年1875〜

一橋大学は、1875年に森有礼により商法講習所として設立された。

森有礼は1847年に薩摩藩士の5男として生まれる。江戸の開成学校で学び、1865年に五代友厚らとイギリスへ密航、留学し、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンで学ぶ。ロシアを見聞し、後にアメリカにも留学する。アメリカではキリスト教に影響を受ける。1868年(明治元年)に帰国すると、22歳で外国官権判事に任命され、1872年にはアメリカ駐在少弁務使としてアメリカに赴任。1873年に帰国すると、福澤諭吉らと明六社を結成する。1875年に、この地に一橋大学の前身となる私塾・商法講習所をひらく。森有礼29歳の時である。

森は,文部大臣を務めるなど日本の教育の基礎を作った人物だが、かなり急進的な考えを持っていた。儒教を廃し、極端な欧米化政策を推進し、日本の国語を英語にする考えまで持っていた。科学に基づいた教育を推進し、また、全国の小中学校に兵式体操を導入し、日本に体育教育を根付かせた。森有礼は29歳の時に結婚したのだが、結婚を契約と捉え、日本で初めて婚姻届を出した人物としても知られる。

商法講習所は、東京商業学校(1884)、高等商業学校(1887)、東京高等商業学校(1902)と名前を変え、1949年に学生の投票により一橋大学と改称し、一環してビジネススクールとしての道を歩んだ。

1889年、森有礼は23歳の国粋主義者の青年に暗殺される。43歳の若さだった。

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