「慶応義塾発祥の地」

2022.10 撮影
タイトル慶応義塾発祥の地
作者不明
設置場所東京都中央区 聖路加国際大学脇
製作年1958
発祥年1858〜

福沢諭吉は1835年に豊後中津藩に下級藩士の次男として生まれる。地元大分で勉学に励み、1954年に19歳で長崎に出て蘭学を学ぶ。その後、1855年に兄を頼って大阪に出て、緒方洪庵の適塾の塾生となった。1856年に兄が亡くなり家督を継ぐことになるが、周囲の反対を押し切って大阪の適塾で遊学を続け、1857年には塾頭となる。1858年に、諭吉は中津藩に江戸出仕を命ぜられ、この地にあった中津藩邸で中屋敷で蘭学の塾を開く。この蘭学塾「一小家塾」が後の慶應義塾大学の発祥となる。

江戸時代、ここ築地には多くの武家屋敷が並んでいた。1657の明暦の大火では江戸は大きな被害を受けた。その復興計画の一環として八丁堀の沖が埋め立てられ、本願寺など浄土真宗の寺院が移設されたが、その後、各藩の中屋敷、下屋敷などが建設された。築地地区はほとんどが寺か武家屋敷という状況だった。

1958年に、創立100周年を記念してこの地に記念碑が建てられた。表面には、『学問のすゝめ』の初編初版本の活字と同じ字型で「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と彫られている。

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