タイトル | 石貨 |
作者 | 不明 |
設置場所 | 東京都千代田区 日比谷公園 |
製作年 | 1925 |
ヤップ島は、ミクロネシア連邦の西端の島。かつて、日本の委任統治領だった。
ヤップ島は1525年にポルトガル船により発見され、その後はドイツ領となっていたが、1920年、第一次世界大戦で戦勝国となった日本の委任統治領になった。日本のヤップ島支配は戦争に負けた1945年まで続く。この石貨が日比谷公園設置されたのは1925年。まさに、日本の南洋諸島支配の象徴として、100年経っても日比谷公園に置かれ続けている石だ。
1871年、ヤップ島に漂着したアメリカ人ディビッド・オキーフにより石の貨幣は確認された。その頃、ヤップ島では直径30㎝から3mの石貨が使われており、500㎞も離れたパラオ島の鍾乳石を切り出してわざわざ舟で運んでいた。オキーフは、石を切り出す機械をパラオに持ち込み石貨を機械生産して大儲けした。オキーフの作った石貨は数千個に及ぶと言われる。
石貨は、1931年まで生産された。1929年の日本の調査によると、当時の石貨の数は13,281枚。災害や持ち出しで半数くらいに減っているようだ。現在は、石貨の島外持ち出しは一切禁止されている。オキーフの石貨は、製作の苦労やストーリーが伴わないので相対的に価値は低かったという。日比谷公園にある石も、背景を考えるともしかするとオキーフのものかもしれない。
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