日本歯科大学発祥の地(1907〜)

2023.2 撮影
タイトル日本歯科大学発祥の地
作者不明
設置場所東京都千代田区 JR飯田橋駅東口
製作年2006
発祥年1907〜

細長いモニュメントだが、碑文はみっちり書かれている。

中原市五郎は、この地に、明治40年6月(1907)公立私立歯科医学校指定規則に基づくわが国最初の歯科医学校として、私立共立歯科医学校を創立した。わが国の歯科医療は黎明期にあり、「学・技両善にして人格高尚なる歯科医師の養成」を建学の目的とした。国民の生命と健康を守るため、歯・顎・口腔の医学を教導し、数多くの優れた歯科医師を輩出し、歯科医療の発展と患者の福祉に尽力した。明治42年に現在の千代田区富士見一丁目に移転し、日本歯科専門学校を経て昭和22年に日本歯科大学に昇格した。日本歯科大学は、私学として「自主独立」という建学の精神を継承し、生命歯学部と新潟生命歯学部の2学部をはじめ、大学院、附属病院3、短期大学2、博物館1を有する世界最大の歯科大学となった。
日本歯科大学創立100周年記金 2006年1月吉日

日本歯科大学校友会

学校創立者の中原市五郎について、Wikipediaなどネット上のデータを調べても、出身については1867年信濃国伊那郡下平村ということしかでてこない。明治期に多くの若い人材が活躍し、学校や組織を発足させているが、その多くは藩士や藩医、旗本などの子がほとんどで、武士階級以外から歴史に登場することは珍しい。中原市五郎がどんな家に生まれたかは現時点で知ることはできなかったが、Wikipediaによると、11歳で旧松本藩御殿医だった戸田義方に入門し医学を学ぶとなっている。いずれにしても、その才能と努力で近代日本を支えたまさに傑人に違いないと思う。

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