「手形」高岩淡

2023.3 撮影
手形の主製作年 碑文
高岩淡 2001
設置場所_東京都練馬区 T・ジョイSEIBU大泉
高岩淡
福岡県出身
1971年 東映株式会社取締役京都撮影所長
1986年 專務取締役就任
1990年 東京撮影所担当兼務
1993年 代表取締役社長就任
2002年 代表取締役会長就任
2006年 取締役相談役就任
2010年 相談役就任

1930年に福岡市に生まれる。母・とみが前夫との間にもうけた子が作家・檀一雄であり、高岩の異父兄にあたる。壇ふみは姪である。檀一雄の紹介により高岩は東映東京撮影所に就職する。その後、ずっと現場の製作畑をあゆみ、1971年に京都撮影所長、1993年に東映株式会社の3代目社長に就任する。製作者としても、「鉄道員(ぽっぽや)」「男たちの大和」檀一雄原作の「火宅の人」など多くの映画作品のプロデューサーをつとめた。

普通、会社の創業者や功労者は胸像や立像にするのが一般的だが、この東映株式会社は映画会社らしく手形にしている点が面白い。

2021年に逝去。姪の壇ふみは「骨の随まで映画人でした。」とのコメントを寄せている。この骨太の掌が多くの俳優やスタッフを包み込み、日本映画の珠玉の名作が生み出された。

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