「手形」加山雄三、野口聡一、十二代市川團十郎、土井隆雄、山本昌広

手形の主製作年 碑文
加山雄三「海その愛」
野口聡一2005「きぼうの未来圏へ」
十二代市川團十郎「温古知新」
土井隆雄2008「宇宙をめざせ」
山本昌広2018「名球会」
設置場所_神奈川県茅ヶ崎市 JR茅ヶ崎駅北口

加山雄三は茅ヶ崎市出身の俳優、歌手。父は俳優の上原謙、母は女優の小桜葉子。生後、横浜市神奈川区、東京都大田区田園調布と移り1歳9ヶ月から茅ヶ崎にて31歳まで暮らす。海の男の代名詞。

野口聡一は1965年生まれの宇宙飛行士。小学校5年より茅ヶ崎に住み、市立浜須賀小学校、浜須賀中学校から神奈川県立茅ヶ崎北陵高等学校を卒業し東京大学に進んだ。2005年にディスカバリー号で宇宙へ。2009年から2010年にかけて宇宙ステーションに5ヶ月半滞在した。俳優や投手もいるなか、野口さんの手が一番きれいだなと感じる。

「劇聖」と呼ばれ明治時代に活躍した歌舞伎の九代目市川團十郎は、現在の茅ヶ崎鉄砲道付近に別荘地を建て、若手役者を育成した。孤松庵と称した。その跡地は現在広大な公園となっている。十二代は宇宙好きで野口聡一と交流があり、九代目からの縁もあり茅ヶ崎にはゆかりがあった。それにしても「温古知新」は誤字であり「温故知新」が正しい。言いにくかろうが、誰かこっそり耳打ちできなかったか。

土井隆雄は1954年生まれ。実家が茅ヶ崎にあり、東京大学在学中の数年間を茅ヶ崎で暮らした。1985年に毛利衛、向井千秋とともに宇宙飛行士に選ばれる。はじめ2人のサポートが多かったが、1997年11月にスペースシャトル「コロンビア号」に搭乗して日本人初の宇宙船外活動を行う。また、2008年 には日本初の有人宇宙施設「きぼう」船内保管室を宇宙ステーションに取り付けた。その作業を行った右手である。

山本昌広は元中日ドラゴンズの投手。1965年生まれなので野口聡一と同学年である。地元の茅ヶ崎市立松林小学校、松林中学校を卒業した。49歳0ヶ月のプロ野球最年長勝利、50歳1ヶ月26日のプロ野球最年長出場、最年長登板の記録を持つ。2016年引退。1983年に入団して伸び悩んでいたが、1988年のドジャース・ベロビーチキャンプに参加してスクリューボールを覚えて帰ってきてからの活躍は、私もよく覚えている。山本は確かに名球会の会員だが、碑文に「名球会」とは素朴すぎるのでは。また、219勝を挙げた左手ではなく右手を手形にしているのもお人柄が忍ばれる。

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