「商人像(仮)」

2023.1 撮影
タイトル不明
作者不明
設置場所東京都千代田区 興和一橋ビル

神田錦町界隈は、江戸時代初期は武家屋敷と商人街が並ぶ賑やかな地域だったという。概ね、西側は武家地で東側が商人地。どんな商品を扱っていたかは詳らかになっていないようだ。この石彫の像は、来歴が何もわからない。3つほど説が思い浮かぶ。

1)商人説。この辺りは商人街で商家も多かったという。この人物は背中に風呂敷を背負っているので商人の可能性が高いのでは。どこかの商家の立志伝中の人物かもしれない。調べてもそれらしい人物には行き当たらないが。

2)布袋説。大きな袋といえば布袋様。七福神の一尊で富と福をもたらす。商人の信仰を集めたのかもしれない。持っている袋は堪忍袋といい、袋が開くと溜まっていた不平不満や憎悪、あらゆる害悪が噴出する。

3)大久保彦左衛門説。神田錦町に住んでいた著名人といえば大久保彦左衛門。戦国時代には家康に付き従って戦い功績をあげた。江戸時代には旗本として幕府に仕え、重んじられることはなかったが「天下の御意見番」として存在感を発揮した。旗本の輿による登城が禁じられた際には、「大ダライ」に乗って江戸城に入ったという有名な逸話があるが、これは後世の創作のようだ。もしこの像がタライに乗って担がれていたら大久保彦左衛門に間違いないところだが、そうは見えない。

いずれにせよ、享保以降は大火により一帯は焼失し、護持院ヶ原という広大な空き地になった。

作品がそこにあるということは、誰かが発案し努力して製作し、空間の一部をそのために空けたということ。必ず何らかの意味がある。そして、こうして、誰が何のために作ったかわからない作品を眺めて推理するのもパブリックアート散歩の醍醐味である。

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