「野球王国高松を築いた名将 水原茂・三原脩像」渡邉庄三郎

2022.11 撮影
タイトル野球王国高松を築いた名将 水原茂・三原脩像
作者渡邉庄三郎
設置場所香川県高松市立中央公園
製作年1993

高松は、野球王国と呼ばれた。1909年生まれの水原茂と1911年生まれの三原脩は、野球王国高松を象徴する選手。

水原は旧制高松商業学校時代には投手・三塁手として活躍し、甲子園では2回優勝した。慶應大学に進むと、六大学のスター選手として春秋5回のリーグ優勝に貢献した。三原は、県立高松中学校の遊撃手として甲子園に出場、準決勝進出を果たす。早稲田大学に入学すると二塁手として活躍する。水原との直接対決もあり、三原が水原からホームスチールを奪い、画期的な勝利を早稲田にもたらした試合もあった。しかし、水原はリンゴ事件と呼ばれる大乱闘事件と麻雀賭博により野球部を除名になり、三原も結婚を期に野球部を退部し、グローブをグランドに叩きつけて故郷に帰ってしまう。

のち、2人ともプロ野球で活躍する。水原は現役時代は読売ジャイアンツで活躍した。8年間の現役生活でMVP1回、ベストナイン1回。また、指導者としては読売ジャイアンツ、東映フライヤーズ、中日ドラゴンズの監督を通算21年務めた。三原も1936年から1938年まで読売ジャイアンツの選手として活躍。水原より先に読売ジャイアンツの監督を務めたあと、西鉄、大洋、近鉄、ヤクルトと、26年間にわたり監督として指揮を振るう。三原の監督としての通算3248試合出場は日本プロ野球歴代1位、通算1687勝は歴代2位。のちに日本ハム球団社長を務める。

この2人を含め、水原と共に活躍した宮武三郎や、牧野茂、中西太の5人が香川県出身者として野球殿堂入りを果たしている。

ここ高松中央公園は、1947年から1982年まで高松市立中央球場として利用されていた。銅像の向かって左が水原茂で読売ジャイアンツのユニフォームを着ている。右が三原で、こちらは西鉄ライオンズのユニフォームだ。

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