タイトル | 神田神社御社殿 |
作者 | 伊東忠太(顧問)、大江新太郎/佐藤功一(設計) |
設置場所 | 東京都文京区 神田神社 |
製作年 | 1934 |
備考 | 重要文化財 |
関東一円に壊滅的な被害を及ぼした関東大震災は1923年に発生した。神宿る神社でも被害は免れず、1,568の神社が被災し神田神社をはじめ約130社が焼失した。再建にあたり、神社は木で作るものという伝統的な考えを改めたいと、1926年に神田神社復興会が結成された。
設計顧問に日本を代表する建築家・伊東忠太を迎え、実際の設計は大江新太郎、佐藤功一が当たった。大江新太郎は日光東照宮を修復したことで知られる日本伝統建築の専門家。佐藤功一は大隈講堂などを設計した早稲田大学理工学部建築学科の創始者。卓越した技の結晶として、1934年に日本初の鉄筋コンクリート製の不燃耐震の神社が完成する。画期的に新しい構造でありながら、壮麗重厚な伝統の権現造に仕上がった。コンクリートの柱に朱を塗ることも史上初であった。
権現造は、拝殿、石の間、本殿という3構造を、縦に串刺にする棟が設けられるという構造。この写真でいうと建物の真ん中に見える光る三角の屋根が、焼き鳥でいうと串の先端にあたる部分。正面に見える拝殿の背後に、石の間と本殿が串刺しになって連なっている。
1945年の東京大空襲で、神田界隈は激しい爆撃により焦土と化した。神田明神にも焼夷弾が続々と降り注いだ。しかし、耐火性に優れたこの神社は懸命の消火作業の甲斐もあり、燃え落ちることはなかった。空襲にも耐え、堂々とした容姿を見せる神田明神は、敗戦後の日本の希望の光となり、明日への誇りとなった。
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