「石川啄木像 歌碑」坂坦道

2022.7 撮影
タイトル石川啄木像 歌碑
作者坂坦道
設置場所札幌市中央区 大通り公園
製作年1981

石川啄木は岩手県出身の歌人。1887年生まれ。1907年から1908年にかけての約1年間を北海道ですごす。最初は函館で代用教員をしながら函館日日新聞の遊軍記者となるも函館大火で失職。札幌にやってきたのは1907年9月のことだった。

札幌では北門新報の校正係に採用される。しかし僅か2週間で小樽新報の記者に転身して札幌を去る。小樽ではようやく妻子・妹と合流し家族が元に戻る。小樽でもトラブルが発生して退職すると、1908年の年明けから釧路新聞に移る。ここでも中央復帰の願いから仮病をつかうなどして不興を買い退職。1908年4月に妻子を函館に残して単身、東京に戻った。

啄木は、芸術家としては天才だったが、人間としては最低だったという。「石川くん」枡野浩一(集英社文庫)を読むとよくわかる。最低人間が、人間の哀しみや希いをかくも美しく表現できることが摩訶不思議である。東京に戻った啄木は精力的に作品を発表し、1912年に腹膜炎を拗らせ落命する。まだ26歳だった。

坂坦道は札幌の「丘の上のクラーク像」などで有名な彫刻家。坂は石川県で生まれるが小学3年生のときに父の死のため母と札幌に移住し、以後は北海道を拠点とする。最初は父と同じく画家を目指すが、色覚異常のため彫刻家に転向する。東京藝術大学在学中の1943年に学徒出陣のため陸軍兵士として出征し、タイ・バンコクで終戦を迎えると10ヶ月の捕虜生活を送る。帰還した後も、百貨店勤務や中学の美術教師を務めながら創作に打ち込んだ。

この啄木像は、人間味あふれる等身大の姿を率直に描いている。歌碑は下記の通り。

しんとして幅廣き街の 秋の夜の 玉蜀黍の焼くるにほひよ
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