タイトル | 楠木正成像 |
作者 | 高村光雲(頭部)、山田鬼斎/石川光明(身体・甲冑部)、後藤貞行(馬)、岡崎雪聲(鋳造) |
設置場所 | 東京都千代田区 皇居外苑 |
製作年 | 1900 |
1900年製作であり、西洋彫刻の黎明期の作品。靖国神社の大村益次郎像の7年後となる。楠木正成は南北朝時代の南朝の主力武将。とはいえ、途絶えた皇系に仕えた一部将がなぜ銅像となって、第二次大戦中の金属供出からも免れ、東京のど真ん中に120年も建っているのか。
南朝が滅んでも、その人徳と潔さで正成の評価は高かった。江戸時代に入ると、儒学者たちにより再評価されていった。更に、戦争の時代を迎えると、皇国史観により忠臣のかがみとして持て囃された。大日本帝国の武神として正成は銅像になった。日清戦争が1894〜95年、日露戦争が1904〜05年なので、2つの戦争の間にこの像は作成されたことになる。
それでも、なぜ正成かという疑問はまだ残る。ほかに忠臣はいないのか?ちょっと考えたのだが、天皇の忠臣という武将がまず思い浮かばない。藤原道長も平清盛も源頼朝も、天皇の忠臣というより、自分の権力基盤の強化のために利用したように見える。足利将軍家や信長なんかもそうだ。
そんななか、途絶えた皇系の武将とはいえ、正成の一途さは他にないものと認識されたのだろう。同じ南朝の忠臣の新田義貞ではちょっと足りず、足利尊氏などは南朝から北朝に旗を翻している。やはり、楠木正成しかいなかったのかなあと思いました。
銅像自体は、高村光雲の力量を充分に堪能できる素晴らしいものだ。
パブリックアート散歩 - Google マイマップ
ブログ用地図
コメント