「東京大学大講堂(安田講堂)」内田祥三、岸田日出刀

2022.8. 撮影
タイトル東京大学大講堂(安田講堂)
作者内田祥三(基本設計)、岸田日出刀(設計)
設置場所東京都文京区 東京大学本郷キャンパス
製作年1925
備考登録有形文化財

現在の東京大学の本郷キャンパスの主要部分は、加賀前田家上屋敷の土地だった。1871年(明治4年)に藩邸は収公されて文部省用地となるが放置同然で荒廃していたという。1876年に東京医学校がここに移転し、東京大学本郷キャンパスの歴史は始まっていく。

しかし大正期になっても天皇行幸の際の正式な便殿(休憩所)がなかったので、安田財閥創始者の安田善次郎により匿名で寄付を受けて講堂が建設された。後年に知られるところとなり安田講堂と呼ばれるようになる。後の総長・内田祥三が基本設計をつとめ、岸田日出刀が設計を担当した。剛直な垂直構造でありながら中央の塔やファザードは壮麗な風格を備えており、勁さのなかに柔らかさのある建物だと思う。

安田講堂はゴシック建築の様式で設計されている。ゴシック建築は12世紀にフランスから広まったもので、ケルン大聖堂(ドイツ)、ノートルダム大聖堂(フランス)、ランス大聖堂(フランス)、ウエストミンスター寺院(イギリス)など、巨大な宗教施設に用いられた。当時、産業構造の変化により、文字も読めないような地方の農民が都市に大量に流入した。こうした人々への布教のため、巨大建築に適し、尖塔など壮麗な外観を持ち、神の愛が伝わるステンドグラスも埋め込むことができる様式が開発された。強度を上げるため、天井は尖塔型のアーチが用いられ、天井リヴ・ボールドと呼ばれる交差する梁が使われ、建物を横から支える飛び梁も用いられ、壁の薄い巨大建築を実現することができた。

安田講堂は、天皇の便殿が目的にあったということもあるが、地方から集まる未来の有為な人材の誇りの原点を目指して荘厳なゴシック形式を採用したのではないだろうか。そして、その権威を破壊する意味も込めて安田講堂事件が起きたのかもしれない。

1969年1月18日から19日にかけて、大学から依頼を受けた警視庁機動隊約8500人が、安田講堂を占拠していた全学共闘会議メンバーらと72時間にわたる攻防を繰り広げ封鎖解除を成功させた。この闘争で講堂は破壊をうけた。荒廃した安田講堂は長期にわたり封鎖されていたが、1988年から94年にかけて修復が行われ利用できるようになり、1991年からは卒業式にも使われるようになった。また、巨大地震にも耐えられるよう、2013年から2014年にかけて大規模耐震補強も行われた。

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