タイトル | 旧加賀屋敷御守殿門(赤門) |
作者 | 不明 |
設置場所 | 東京都文京区 東京大学本郷キャンパス |
製作年 | 1827 |
備考 | 重要文化財 |
東大の赤門として知られるこの門は、正式名称を旧加賀屋敷御守殿門という。1827年(文政10年)に、加賀藩主・前田斉泰のもとに11代将軍徳川家斉の息女・溶姫が輿入れする際に、この門が作られた。三位以上の大名が将軍家から妻を迎えた場合、妻の居所を御守殿と呼び、またそこに出入りする朱塗りの門を御守殿門と呼んだ。
つまり、かつてこの場所には前田家の屋敷があり、お嫁にきた将軍の娘が暮らしていたということになる。
前田斉泰は幕末を生きた加賀藩主。薩摩藩や長州藩のように倒幕の雄藩になろうと目論んだが、尊王攘夷派の家臣の多くを排斥していたので実現できず、百万石の大大名なのに幕末に存在感を示すことはなかった。斉泰は西洋リンゴを日本で初めて栽培した人物でもある。家臣に、甘く煮て餅に付けて食べるように勧めたという。日本初のリンゴジャムである。
溶姫は、輿入れ後は加賀藩に馴染む努力をしたが、将軍家からの随行員が専横に振るまい家臣たちの恨みを買ったという。江戸城陥落が近くなり溶姫一行が加賀に入ろうとしたところ、溶姫以外の随行員は徳川の一員ということで加賀入りを許されなかった。溶姫は金沢に到着したわずか1ヶ月半後に亡くなる。56歳であった。
赤門は薬医門の型式で作られている。薬医門は本柱が門の中心になく、控え柱とともに屋根を支える。このページの写真は門の裏から撮影しているで控え柱も見ることができる。
切妻造、本瓦葺となっており、写真には写っていないが左右には唐破風造本瓦葺の番所もある。海鼠塀本瓦葦の繋塀もさらに左右に続くがこれも撮影していない。
スッキリ赤い、溶姫の心を映したような美しい門だ。
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