「旧前田邸和館」塚本靖/佐々木岩次郎/三代目木村清兵衛

2023.3 撮影
タイトル旧前田邸和館
作者塚本靖(設計監督)、佐々木岩次郎(設計) 、三代目木村清兵衛(茶室設計)、雪野元吉
設置場所東京都目黒区 駒場公園
製作年1929
備考重要文化財

説明板は下記の通り。

和館
重要文化財(建造物)
平成25年(2013)8月7日指定

外国からの賓客に日本文化を伝えるために、昭和5年(1930)に竣工した木造2階建の近代和風建築で、迎賓のほか、前田家の四季折々の行事にも利用されました。外観は、玄関側の北面は破風屋根が重なる重厚な意匠とし、庭側の南面は京都の銀閣寺を思わせる姿となっています。内部は畳敷きの大廊下や広い続き間のほか茶室も設けられています。設計は、佐々木岩次郎で、茶室は三代目木村清兵衛によるものです。隣接する洋館とは渡廊下でつながっています。戦後は一時期、連合国軍 GHQ司令官の住宅などに使用されましたが、内外ともに創建時の状態を良く留めています。

明治維新後も、加賀前田藩の当主、前田利為侯爵は、文京区本郷の東京大学の南西部にあたる場所に広大な土地を所有してした。1926年に、利為はこれらを東京大学に寄贈。代わりに東京大学は目黒区駒場の東京大学農学部の敷地の一部の1万坪を前田侯爵家に譲った。ここに、現在の旧前田邸が建っている。

前田侯爵は軍人であり、第二次世界大戦にも従軍した。1942年4月に招集され、ボルネオ島守備隊の司令官に親補される。同年9月5日にボルネオ島沖で搭乗機が消息を絶ち、後に残骸と侯爵の遺体が発見された。当初は「陣歿」と発表された。当時、「戦死」であれば相続税は課されないが、そうでなければ相続税が課される。この件は帝国議会でも取り上げられ、後に利為の死は「戦死」に改められた。東條英機とは仲が悪く、そのために「陣歿」にされたのではないかと噂されていたという。

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