「日本看護婦会慰霊塔」

2022.7 撮影
タイトル日本看護婦会慰霊塔
作者不明
設置場所東京都大田区 長栄山大国院本門寺

日本の従軍看護制度が始まったのは1890年(明治20年)と言われている。日本赤十字社看護婦養成所に10名が入学。日本赤十字社の養成所を出た看護師は、3年間の養成期間ののち、20年間は召集されたら従軍する義務を負った。最初に召集があったのは日清戦争。日清戦争では25人、日露戦争では39人の看護師の殉職者をだした。満州事変から第二次世界大戦の間では、日赤以外の看護師も戦場に立ったが、日赤だけで延べ35,000人が出征し、1,120人が戦没した。鎮魂の祈りをここに捧げたい。

この慰霊の像には解説板などは何もないので設置の経緯は不明。推理にすぎないが、モニュメントの帽子や服装から、この像は戦後に作られたものではないかと考える。日清日露の頃の看護帽は、西洋式を取り入れたコックさんのような縦長の白い帽子。第二次世界大戦の頃はニット帽のような形で頭にピッタリする帽子で真ん中に十字のマークが付いているものが主流。シャツは第二次世界大戦の頃は開襟シャツのような動きやすいものが使われることも多かったようだ。

(参考)救い護る人~日赤救護員養成のあゆみ~|特別企画|赤十字WEBミュージアム (jrc.or.jp)

(参考)看護師白衣の変遷 | 学校法人 大阪医科薬科大学 (omp.ac.jp)

この彫刻では、帽子は頭の後ろに留める現代的なタイプでシャツも開襟ではなく第一ボタンで止められている。この彫刻は、戦争時のスタイルではなく、戦後の製作当時の看護師のスタイルに、全ての殉職された看護師への鎮魂を込めたのではなかろうか。

また、全くの勘ではあるが、圓鍔元規の作風に似ている気がする。例えば、従軍看護制度100周年にあたる1990年の製作であれば、圓鍔の活動時期と矛盾しない。

パブリックアート散歩 - Google マイマップ
ブログ用地図

コメント

タイトルとURLをコピーしました