「日本橋の麒麟像」津田信夫、渡辺長男、岡崎雪聲

タイトル日本橋の獅子像
作者津田信夫(製作主任)、渡辺長男(原型製作)、岡崎雪聲(鋳造)
設置場所東京都中央区 日本橋高欄
製作年1911

日本橋の麒麟像は、渡辺長男が原型を製作した。渡辺は、当時の彫刻界の気鋭の作家。1874年生れなので37歳にしてこの大役を担った。1897年に高村光太郎、武石弘三郎らと「青年彫塑会」を結成し彫刻界を牽引していた。津田信夫は、1875年生まれで渡辺の一つ歳下だったが、当時東京美術学校の助教授を務めていた。後に教授となる。岡崎雪聲は東京美術学校鋳造科の教授。パリ万博での2等入賞などで名を馳せた。渡辺は雪聲の娘を妻に迎えているので、雪聲は渡辺の岳父にあたる。

戦後の彫刻界の第一人者となる朝倉文夫は渡辺長男の実弟である。文夫は長男の9歳歳下で、文夫が1902年に東京美術学校に入学した時には、長男はすでに彫刻家として卓越した技術を持ち抜群の名声を得ていた。文夫は当時、長男が何でも造形できることを驚嘆して見ていたという。

渡辺は、その後、「軍神広瀬中佐像」「徳川家康像」「太田道灌像」「明治天皇騎馬像」「菅原道真像」などを製作し、戦前の彫刻界の寵児となる。しかし、戦時中の金属供出や戦後のGHQからの指示によりほとんどの渡辺作品は撤去された。戦後は戦争に協力した国策作家と見做され活躍の場はほとんど与えられなかった。1952年、戦後7年目に77歳でその生涯を閉じる。

麒麟は繁栄を象徴する霊獣。近代日本が健やかに成長するよう背筋を伸ばして見守っている。素晴らしい造形だと思う。本来は麒麟の背中には何もないが、ここ日本橋の麒麟には巨きな鰭がついている。渡辺らは翼も検討したが、最終的には鰭になったという。麒麟がウロコのついた霊獣だからだろうか。日本の交通網の安全と繁栄を天空から護るために、今も麒麟は睨みを効かせている。

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