「手形」高島忠夫、高峰秀子、高峰三枝子、宝田明、武田鉄也、田原俊彦

手形の主製作年 碑文
高島忠夫真心
高峰秀子心に太陽を くちびるに歌を
高峰三枝子愛と友情
宝田明一笑一若 一怒一老
武田鉄也いつか見た雲 追いかける思い 心にある
田原俊彦
設置場所_東京都千代田区 東京ミッドタウン日比谷The Star Gallery

高島忠夫は1930年生まれ、兵庫県出身。高校卒業後、1951年に新東宝のニューフェイス「新東宝スターレット」の第1期生として入社。1950年代から60年代に、100本以上の映画に出演する。

高峰秀子は子役から活躍した大女優。1924年生まれ。生家は北海道で蕎麦屋料亭を営んでいた。4歳の時に父の妹の志げの養女となり東京に住む。5歳の時に、養父の友達に連れられ松竹蒲田撮影所の見学に行った時にたまたまのオーディションに合格し「母」で映画デビュー。秀子は1929年10月1日付で松竹蒲田撮影所に入所した。「母」は大ヒットし、秀子は子役として大活躍する。芸名は、養母の活弁士時代の芸名をそのままいただいた。徹夜の撮影も多く、学校にはほとんど通えなかったという。1937年に東宝に移籍。娘役としても大人気となる。映画「カルメン故郷に帰る」「二十四の瞳」「浮雲」「喜びも悲しみも幾年月」「女の園」「衝動殺人・息子よ」など。

宝田明は1933年生まれ。1953年に東宝ニューフェイス第6期生。長身・美形で東宝のトップスターとなる。日本におけるミュージカル俳優の草分けでもあった。この手形も極めて美しい。

高峰三枝子は歌う女優の草分けと言われる。父は越前琵琶奏者の高峰筑風。1918年生まれ。1936年に父が急死。家族を養うため松竹に女優として入社。同年「母を尋ねて」で映画デビュー。1937年の「浅草の灯」で浅草オペラの踊り子を演じ、歌を口ずさむシーンが話題になる。翌年の「蛍の光」でレコードデビュー。「宵待草」「純情二重奏」でも歌い、「歌う映画女優」と呼ばれた。その後も映画女優、歌手として活躍を続けた。1974年に「犬神家の一族」でブルーリボン賞受賞。

武田鉄矢は海援隊のボーカルとして1972年にデビュー。歌手だけでなく、俳優としても映画「幸福の黄色いハンカチ」、テレビドラマ「3年B組金八先生」などで実力を発揮している。「101回目のプロポーズ」ではその恋の行方に日本中が注目した。

田原俊彦は1980年代に一世を風靡したアイドル歌手。ドラマ「3年B組金八先生」でブレイクする。映画俳優としてはたのきんスーパーヒットシリーズとして、「青春グラフティ スニーカーぶる〜す」「ブルージーンズメモリー」「グッドラックLOVE」など。紅白歌合戦にも、7度出場している。

コメント

タイトルとURLをコピーしました