「手形」石坂浩二、いしだあゆみ、植木等、上原謙、岡田茉莉子、緒方拳

手形の主製作年 碑文
石坂浩二
いしだあゆみ
植木等 判っちゃいるけど やめられない
上原謙
岡田茉莉子一期一会
緒方拳
設置場所_東京都千代田区 東京ミッドタウン日比谷The Star Gallery

石坂浩二は1941年東京生まれ。父は関東明治屋株式会社の取締役。慶應大学義塾大学卒業。慶應高校時代の1958年に、ドラマのエキストラでデビュー。1969年に「日も月も」で映画初主演。同じ1969年に「天と地と」の上杉謙信役で大河ドラマ初主演を果たす。映画では「犬神家の一族」「おはん」「ビルマの竪琴」「細雪」など。テレビ「開運!なんでも鑑定団」では22年間にわたって司会を務めた。

いしだあゆみは、1948年に長崎の佐世保に生まれ大阪で育つ。5歳からフィギュアスケートを始め、小6のときには関西ジュニアで優勝した。並行して児童劇団でも活動。1961年に梅田コマ劇場で初舞台を踏む。1964年にネェ、聞いてよママ」でレコードデビュー。日本コロンビアに移籍後の1968年に発表した「ブルーライトヨコハマ」が大ヒットし、歌手として実績を積み重ねる。1973年の「日本沈没」から俳優へシフトし、映画「青春の門自立編」「駅STATION」「火宅の人」、テレビドラマ「阿修羅のごとく」「北の国から」などに出演した。

植木等は東宝喜劇で一時代を築いた、卓越した喜劇俳優。1927年に愛知県に生まれる。父は僧侶。植木も、1939年に僧侶の修行のため東京、駒込の真浄寺に修行にあがる。1944年にテイチクレコードの新人歌手コンテストに合格。1950年に東洋大学を卒業すると「萩原哲晶とデューク・オクテッド」にギタリストとして加入する。1957年に加入した「キューバン・キャッツ」が、後に「クレージー・キャッツ」となり、「シャボン玉ホリデー」などで爆発的な人気となる。1962年に主演した映画「日本無責任時代」が大ヒットし、以後「無責任男」の映画が量産され、日本中を爆笑の渦に巻き込んだ。

上原謙は戦前から戦後を代表する二枚目俳優。若い頃の写真を眺めると、震えるほどに美しい。1909年生まれ。先祖は薩摩藩の士族だった。立教大学を卒業後松竹に入社。大学の友人が、本人に無断で松竹蒲田に上原の写真を送ったことがきっかけだった。「有りがたうさん」などで主役を務め大人気となる。兵役ののち小桜葉子と結婚。1937年に長男の加山雄三が生まれる。その後も「浅草の灯」「愛染かつら」「三百六十五夜」「晩菊」「山の音」「夜の河」と名作に主演する。

岡田茉莉子は幼少期、居所を転々とする暮らしだった。1933年に渋谷区代々木に生まれるが、翌1934年に父が死去。茉莉子は大森に住む母の妹に引き取られる。母の妹・御幸市子は宝塚スターだったが、東宝プロデューサーと結婚したため、茉莉子は母の実家の大阪へ。1942年に母のいる上海に渡るがなじめず、1944年には品川区の御幸の嫁ぎ先に戻る。小学校6年の時に静岡に集団疎開。1945年に香蘭高等女学院に入学するが、叔父の転勤のため新潟へ転居。その新潟の映画館で見た「瀧の白糸」が実は父・岡田時彦の出演作だったという。茉莉子は、叔父の薦めで東宝ニューフェイスとしてキャリアをスタートし、のち、有馬稲子と松竹の2枚看板として活躍する。

緒形拳は1937年生まれ。都内の高校を卒業した後、新国劇を志し1958年に入団する。1965年に「遠い一つの道」で主役デビュー。1965年に大河ドラマ「太閤記」で主役に抜擢される。翌年の「源義経」でも武蔵坊弁慶を演じ、2年連続の大河ドラマ出演となった。。「必殺仕掛人」、映画「鬼畜」「復讐するは我にあり」「楢山節考」など。

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