





手形の主 | 製作年 | 碑文 |
星由里子 | ||
益田喜頓 | ||
松田聖子 | すべてのものによろこびを 赤いスイートピー | |
松本幸四郎 | ||
三浦友和 | ||
三木のり平 |
星由里子は「若大将シリーズ」のヒロイン・澄子として人気を博した。1943年東京生まれの星は、東宝が募集した「ミス・シンデレラ姫」に応募して優勝し、芸能界に入った。「モスラ対ゴジラ」など、怪獣映画にも多く出演し、子どもたちからの人気も高かった。
益田喜頓は日本の喜劇俳優。7歳の時に父親が事業に失敗し、アメリカで一旗あげると言って蒸発。祖母、母、兄弟5人の一家は貧困に苦しむ。1930年に吉本興業に入所。1937年に川田義雄、坊屋三郎、芝利英と「あきれたボーイズ」を結成し人気を博す。1957年に東宝芸能に移籍し、「屋根の上のバイオリン弾き」などミュージカルで活躍する。
松田聖子の「赤いスイートピー」は1982年発売の8枚目のシングルで、50万枚を売り上げた。作詞は松本隆で、作曲は呉田軽穂こと松任谷由美。80年代を代表する爽やかな楽曲。映画女優としても「野菊の墓」など、多くの出演作がある。
松本幸四郎は歌舞伎界の大看板。1942年に五代目市川染五郎の長男として生を受ける。わずか3歳で初舞台を踏む。1949年に六代目市川染五郎、1981年に九代目松本幸四郎襲名。現在は二代目松本白鸚。歌舞伎だけでなく、ミュージカル「王様と私」「ラ・マンチャの男」、NHK大河ドラマ「黄金の日日」「山河燃ゆ」など多彩な表現活動を行う。
三浦友和は1952年生まれ、山梨県出身。父は警官だった。20代は、若手二枚目俳優として絶大な人気を誇る。特に、山口百恵とコンビを組んだ青春映画は大ヒットを続けた。映画の中で、山口百恵の手と何度も重なりあった優しげな掌。
三木のり平は1924年生まれの喜劇俳優。母は日本橋浜町で待合「芳柳」を営む。日本大学では舞台芸術家を目指すが、欠員を埋めるため舞台に立つ。1950年代には「駅前」シリーズや「社長」シリーズなどで森繁久彌や伴淳三郎、フランキー堺らと共演し、人気者となる。菊田一夫が亡くなった後に「放浪記」の演出を手がけるなど、演出家としても力を発揮した。また、桃屋の海苔佃煮のCMでもお茶の間にその顔が浸透した。
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