
| タイトル | 忘れない千葉空襲 | 
| 作者 | 不明 | 
| 設置場所 | 千葉大学中央区 亥鼻公園 | 
説明板は下記の通り。
千葉市空襲の概要
1945年5月8日昼頃の空襲は、米軍艦載機による蘇我町の日立航空機工場と近隣の住宅・住民への機銃掃射で死者・負傷者が出ていますが、全容は明らかではありません。6月10日朝8時頃の空襲では、第1目標の日立航空機工場への爆撃は蘇我町1丁目の住宅地に落ちて、住民 242人が犠牲になりました。さらにB29編隊は、市街地を飛行し、寒川3丁目・2丁目・1丁目・港町・新宿町・新田町・新町・富士見町等を連続的に爆撃し、千葉県立高等女学校、千葉復活教会、千葉病院、千葉女子師範学校、省線千葉機関区等が被害を受けました。
罹災面積は0.26㎢、死者391名、罹災戸数は415戸。
7月6日深夜から7日にかけての夜間焼夷弾攻撃(七夕空襲)の目標は千葉市街地で、さらに艦載機の機銃掃射が加わりました。吾妻町・本町・東本町・院内町・通町・要町・栄町・祐光町・道場北町・道場南町・亀井町・千葉寺町・長洲町・弁天町・富士見町・新町・新田町・新宿町・神明町等、千葉市中心部のほとんどが焼失し、さらに、鉄道第一聯隊(椿森)・気球聯隊(作草部町)・歩兵学校(天台町)・千葉陸軍高射砲学校(小仲台)等の軍事施設が被害を受けました。罹災面積は2.05㎢、死傷者1204名、罹災戸数は8189戸。
写真:7/7空襲後の千葉市街地(米軍資料)
参考資料:千葉市作成「考えよう平和の大切さ」、千葉市空襲を記録する会編「千業市空襲の記録」
千葉市空襲犧牲者刻銘式平和祈念碑建立実行委員会
千葉市でも、空襲により多くの命が失われていた。合掌。
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