
| タイトル | 女 |
| 作者 | 荻原守衛 |
| 設置場所 | 千葉大学中央区 亥鼻公園 |
| 製作年 | 1910 |
教科書にも出ている荻原守衛の有名な作品。屋外で見ることができるのは嬉しい。
荻原守衛は1879年生まれ、長野県東穂高村(現・安曇野市)出身の彫刻家。号は荻原碌山。
守衛が17歳の時、3歳年上の美女・相馬黒光と出会う。黒光は、東京の女学校を卒業した後、守衛も尊敬する故郷の先輩・相馬愛蔵と結婚したばかりだった。仙台出身で、東京で最先端の芸術や文学を吸収した黒光に、守衛は多大な影響を受ける。守衛は芸術家を目指すべく、1901年にアメリカ・ニューヨークに渡り、絵画を学びデッサンを重ねる。1904年に、パリでロダンの「考える人」を見て衝撃を受けた守衛は、彫刻家を志すことを決意。1906にアメリカから再渡仏。ロダンと面会することも叶い、イタリア・エジプト・ギリシャを回って東京に帰る。
新宿にアトリエを構え、彫刻家・萩原碌山として活動を始めた守衛の前に、憧れの黒光が現れる。相馬夫妻は、新宿に「中村屋」を創業していた。守衛と相馬夫妻が付き合いを深めるなか、守衛の黒光に対する慕情は抑えることが難しくなっていく。さらに、相馬愛蔵の浮気が発覚すると、守衛の黒光に対する思いはエスカレートしていく。この思いを、守衛は彫刻作品「文覚」に昇華させる。「文覚」は源平時代の僧で、従兄弟の妻に横恋慕して、誤ってその人妻を殺してしまった人物。
1910年に、黒光は幼い次男を病により失う。この、打ちひしがれた黒光をモチーフに製作されたのが「女」である。心が掴まれて離れがたい思いにおそわれる。
この作品が製作された翌年、守衛は相馬家の客間で喀血し、そのまま世を去る。30歳の若さだった。新宿中村屋のカレーは今でも美味しく、中村屋ビル3階の中村屋サロン美術館には、荻原守衛の「女」が展示されている。
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