「太田圓三君像」

2022.9 撮影
タイトル太田圓三君像
作者不明
設置場所東京都千代田区 神田橋公園
製作年1931(建立)、1955(移設)

太田圓三は明治・大正期の土木技師、鉄道技師。1881年に静岡県の現伊東市に生まれる。東京帝国大学を卒業し逓信省鉄道作業局に入局、欧米への留学も経験した。1923年に関東大震災が発生すると、帝都復興院土木局長に任命され、東京復興の最前線に立つ。太田の大きな業績としては、隅田川六大橋(相生橋、永代橋、清洲橋、蔵前橋、駒形橋、言問橋)の建築が挙げられる。

1925年に復興局疑獄事件が起こる。土地買収を巡る贈収賄事件。太田の盟友だった十河信二も逮捕され、太田は心労のため自殺してしまう。35歳の若さだった。

十河は無罪を主張し、冤罪ということが確定する。後に国鉄総裁となる。

詩人の木下杢太郎は太田の実弟。

この記念碑は、はじめ言問橋畔の中島公園に設置されたが、太平洋戦争により損傷したため修復の上、この地に移設された。復興局が手がけた橋は100以上と言われ、この神田橋も震災で崩れ落ち、復興局により再建された。1926年3月21日に完成。担当した太田圓三は、その1ヶ月前に自らの命を絶っていた。

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