「大村益次郎像」大熊氏廣

2022.6 撮影
タイトル大村益次郎像
作者大熊氏廣
設置場所東京都千代田区 靖国神社
製作年1893

この大村益次郎像は日本で最初の西洋式彫刻作品と言われている。作者の大熊氏廣は1882年に工部美術学校を首席で卒業すると、有栖川邸の建築彫刻を担当、さらに工部省に入省し皇居造営などにも関わる。1885年に大村益次郎像の製作を依頼されると1890年に西洋彫刻を学ぶため役所を辞めて渡欧。1893年に大村像を完成させた。

大村益次郎は陸軍の父と呼ばれる人物で、軍制改革による軍の近代化に功績がある。長州の町医者の家に生まれ、蘭学を修めるが、折しもの幕末の激動のなか、大村は自分の学問を活かし長州の軍の近代化を実現。さらに戊辰戦争では新政府軍の編成に力を発揮し幕府軍を敗走させた。それまで武力は武士だけが担っていたが、大村は広く農民や町人の力も活用すべきと考えた。藩の廃止、廃刀令、徴兵令、鎮台の設置、職業軍人の育成などを目指した。しかし1869年、急激な改革に不満を抱えた元長州藩士に暗殺された。明治2年、益次郎は享年45歳だった。

大村は、戊辰戦争で傷つき斃れた多くの兵士のための鎮魂の社を建てるよう提案した。その建策のもとに九段下に創立されたのが、靖国神社の前身となる招魂社だ。武士の出自ではない大村だからこそ、大義のために血を流す尊さを身に染みてわかっていたのだろう。招魂社創立は明治2年、奇しくも大村が凶刃に倒れた1869年のことだった。

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