「和気清麻呂公銅像」佐藤清蔵(佐藤玄々)

2022.5 撮影
タイトル和気清麻呂公銅像
作者佐藤玄々
設置場所東京都千代田区 大手濠緑地
製作年1940

佐藤は、福島県の宮大工の家に生まれ、17歳で上京し彫刻家・山崎朝雲の弟子となる。すぐに実力を認められ朝山の号を朝雲より授かった。その後フランスにわたり、ブールデルにも師事した。

この和気清麻呂像は、朝倉文夫、北村西望、佐藤朝山の3名によるコンペとなった。朝倉も北村も大家である。選考の結果、朝山の作品が見事に採用された。この時、師匠の山崎朝雲が、この様な大作は朝倉さんか北村さんが相応しいと発言したことで朝山は憤慨。師匠と訣別し、二度と朝山を名乗ることはなかった。和気清麻呂像は、本名の佐藤清蔵名義で製作された。

太平洋戦争開戦直前の国威発揚をねらいにした作品であるが、悠々たる造形で心に迫ってくる。

1945年に空襲により佐藤のアトリエは全焼し、それまでの作品は焼失してしまう。

1948年から玄々を名乗り、日本橋三越の作品などを残す。このサイトでは、佐藤玄々と記す。

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