「勝海舟像」木内禮智

2022.7 撮影
タイトル勝海舟像
作者木内禮智
設置場所東京都墨田区役所
製作年2003

勝海舟は、1823年に江戸の本所亀沢町、現在の墨田区両国あたりで生誕した。生家は貧乏な旗本で鬱屈した青年時代を送る。剣術は直新陰流の免許皆伝、禅、兵学、蘭学など自己研鑽に務め、1853年の安政の改革で見出される。

幕府では長崎の海軍養成所で学び、江戸に戻ると築地の海軍学校(軍艦操練所)の頭取となる。1860年に、日米修好通商条約の批准書を取り交わす使節の護衛として咸臨丸を率いて渡米。これは日本人として自力での初めての太平洋横断である。正史の木村喜毅や小栗忠順はアメリカのフリーゲート艦・ポーハタン号に乗船していた。咸臨丸には福沢諭吉やジョン万次郎も乗っていた。

戊辰戦争では幕府側の代表として新政府側の西郷隆盛と交渉し、江戸城の無血開城を実現させた。勝は朝鮮出兵や日清戦争にも反対の立場をとり、平和主義者の一面があった。

木内禮智は1931年生まれの彫刻家。16歳から36歳まで墨田区両国に住み、両国高校〜東京藝術大学と下町を拠点としていた。勝海舟が清貧のなか文武に励んだのも同じあたりだった。この像は墨田区役所に立っている。

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