
タイトル | 八幡太郎義家公之像 |
作者 | 喜多敏勝 |
設置場所 | 東京都府中市 ミッテン府中 |
製作年 | 1992 |
碑文は次の通り。
源義家公とけやき並木
国の天然記念物「馬場大門けやき並木」は、940有余年前、源頼義公・義家公父子が奥州平定の「前九年の役」の途次、大国魂神社に戦勝を祈願し、同役平定後の康平5年(1062年)勝利報賽として、神社にけやきの苗木千本を寄進したことにはじまる。
その後、徳川家康公により、補植されて現在の姿になったが、この場所にあった周囲9メートルに及んだ大けやきは、頼義公・義家公父子が奉植されたものと伝えられ、ご神木として氏子から敬愛されていた大けやきであった。その大けやきも、度々の暴風雨と、近くは昭和24年のキティ台風によって、幹や大枝が折れ、その後、残った幹の空洞内の出火で枯死してしまった・義家公は・清和源氏に発する河内源氏の嫡流として、7歳の時、石清水八幡宮で元服、よって八幡太郎と号したが・前九年の役・後三年の役で卓抜した武勇をあらわした公の代に、源氏の武威の最盛期を迎えた。このような大国、武蔵の国の国府であった府中、大国魂神社、けやき並木と源義家公の史実を後世に伝えるため、当時の若さあふれる公の像をこの地に建立するものである。この「八幡太郎源義家公之像」が府中の歴史を伝え、永く市民各位の心に生き続けることを願いたい。
制作は、高岡市在住、勅許御鋳物師藤原朝臣喜多家第30代当主の三男・喜多敏勝先生 題字は、財団法人日本書道美術院審査員、鹿島敬帆先生の揮毫による。
平成4年3月28日
創立30周年記念事業
東京府中ロータリークラブ
喜多敏勝は1954年に藤原朝臣喜多家30代万右衛門の三男として富山県高岡市に生まれる。勅許御鋳物師。喜多家は、12世紀に近衛天皇へ御代鋳物燈炉を献上したことにより特権の許可状を与えられた家系。喜多敏勝は米治一に師事し、数々の伝統工芸作品を生み出した。高岡伝統の蝋型製法を使い、国宝仏像の複製などを手がけた。
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