「伊能忠敬測地遺功表」圓鍔勝三

2022.9 撮影
タイトル伊能忠敬測地遺功表
作者圓鍔勝三(再建)
設置場所東京都港区 都立芝公園芝丸山古墳
製作年1889(建立)、1965(再建)

伊能忠敬は、村のために尽くしたのち、50歳で隠居してから江戸に出て暦学を修め、55歳から日本測量の旅にでた。ここ都立芝公園には、忠敬の遺功を讃えるモニュメントが立っている。なぜここにあるかというと、忠敬が測量をした起点が高輪大木戸なのでその付近に建てたということのようだ。

この測地遺功表は、いちど戦禍で失われたのだが、1965年に圓鍔勝三の構図で再建された。

忠敬の死後3年目にようやく完成した大日本沿海輿地全図は、6000分の1の大図24枚の壮大なものだった。この地図は機密文書とされ、幕府の紅葉山文庫に秘蔵されていたが、1828年にドイツ人医師・シーボルトによって海外に持ち出されるという、いわゆるシーボルト事件が起こる。幕府は機密にしていたが、皮肉なことに海外から持ち込まれた大日本沿海輿地全図が国内でも見れる状況になっていた。

大日本沿海輿地全図の正本は、1873年の皇居の火災で焼失し、伊能家の副本も関東大震災で失われた。しかし、2001年にアメリカで大量の写本が見つかったお陰で、伊能の地図の全貌を把握することができるようになったということだ。

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