
タイトル | プッチール像 |
作者 | 沼田一雅(輔) 大坂七太郎(作) |
設置場所 | 東京都目黒区 東京大学駒場Ⅰキャンパス |
製作年 | 1902 |
フリードリヒ・プッチールは、旧一高のドイツ語教師。1851年生まれ。ドイツ・ポメルン州アンダム県出身。1880年に来日し、1884年から東京大学予備門、一高、東京大学と一貫してドイツ語教師を務める。1901年に急死する。一高教授飯島正之助の狩野校長宛書簡(明治 34年 5月19日)に 「プッチール氏ハ十一時過家人ノ知ラザル間ニ頓死致居候由」との記録がある。その死を悼んで、死の翌年に銅像が建立された。プッチールは生前から、日本を第二の故郷と呼んでおり、墓地も青山にある。学生紛争の際は、破壊から免れるために長野に疎開していた。
大坂七太郎は、本名は岡野辰五郎。1880年に越前大野藩重役の子息として誕生。ただし、明治も13年になっていたので、藩は消滅していた。1897年に東京美術学校彫金科に入学。1901年卒業。プッチールの銅像が作られた1902年は、大坂の22歳の年齢。1903年に田端に彫金工場を設立。その後ニューヨークに渡り、1909年にティファニーの工場に就職する。後半生は、美術品蒐集家として生きた。
沼田一雅については、慶應義塾大学の時計を紹介した。
人間味が滲むような造形が魅力的である。
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