タイトル | 出雲阿国像 |
作者 | 山崎正義 |
設置場所 | 京都市東山区 京阪本線祇園四条駅 |
製作年 | 1994 |
出雲阿国はかぶき踊りの創始者。通説では1572年生まれ。出雲国松江の鍛冶・中村三右衛門の娘とされる。阿国は出雲大社の巫女となり、大社の勧進のため諸国を回っていたと言われている。
1600年(慶長5年)に、近衛殿や御所で「クニ」という人物が「ヤヤコ跳ね」を演じた記録がある。1603年になると阿国の一座は四条河原に仮説の舞台を設けてかぶき踊りを披露すると大評判になった。阿国には名古屋山三郎という夫がおり、阿国は男装、山三郎は女装をして踊りあった。阿国は女性なのに男のように長い日本刀を肩に担ぎ、出雲大社の巫女なのに十字架を首から下げる異相で芝居や猿若、獅子踊りなどを披露した。民衆は狂喜し、クライマックスではみんなで踊りだしたという。「阿国歌舞伎」と呼ばれ、真似をする一座も続出し、京都の町では傾奇者ファッションが流行した。
1600年に関ヶ原の合戦があり敗れた石田三成の首は三条河原に晒された。阿国が四条河原のかぶき踊りで評判をとったのは、その3年後の1603年のこと。1603年は、徳川家康が征夷大将軍になった年でもある。乱世の人々の様々な感情が、かぶき踊りの熱気の底にあったのではないだろうか。
1607年に、阿国が江戸城で踊ったという記録がある。それを最後に阿国の記録は残っていない。
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